岡村孝子『潮の香りの中で』1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がミリオンヒット曲となる。
1983年に「あみん」の活動を休止。椙山女学園大学を中退後、花嫁修業などをしていた。その時にもソロ活動を求める声があり東京都内へ上京して、ソロとして1985年にファンハウスより岡村孝子が単独でデビューする。
1986年、来生たかおの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところホンダ・トゥデイのコマーシャル(出演は今井美樹)に起用され、一気に人気度が高まる。この楽曲は現時点で詞・曲ともに自作でない唯一の楽曲である。
1987年に「夢をあきらめないで」を発表。応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村の代表作となった。当初は武蔵予備校のCMソングのタイアップがあったが、後年、中学校の音楽教科書(「中学音楽 音楽のおくりもの 2・3 上」教育出版刊)にも採用されている。
1997年、プロ野球読売ジャイアンツの石井浩郎と結婚し、第一子をもうけた。1997年頃から2003年頃まで音楽活動がペースダウンしていたのは、主婦業・子育てに力を入れていたためである。『Reborn』(2000年)では、家族への温かな想いをつづっていた。しかし、2003年に離婚した。
初期は自己の存在感に悩む「自分探し」を主題とする曲が多かったがアルバム「SOLEIL」のリリース以降から「自分への応援歌」や「愛」を主題とした明るい曲へ、そして近年は明るさはそのままに内面性に根差した深みのある曲へと、作風が変化している。
うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!
やっと更新。。。忙しさと、疲れでしばらく更新出来なかった。仕事は慣れてきているのだが、身体介助の割合が一気に増えた。その分、毎回、毎回利用者さんを怪我させない様に神経を集中させる為、精神的な疲れがどっと出てきている。
嚥下の悪い方の数も増え、食事中も、食べ物をのどに詰めて窒息しないかと、ハラハラものである。今日も、食事中に食べ物を喉につめらせ顔が真っ赤になっている方がいた。幸い背中を叩くだけで喉つめは収まったが、先輩方に聞くと、実際に食事介助中に喉をつめらせ亡くなった方もいるという。どんなに気を付けていても事故は起こる。しかし、自分の目の前で亡くなっていく所を目の当たりにした時に、果たしてこの仕事を続けていけるかとても不安だ。
再び、ウツになってしまうだろうと思う。
毎月、転倒・誤薬・怪我等、介助中や介助外に十数件起きている。幸いにも私が勤務し始めてからは死亡事故は起きていない。しかし、末期の方がいるのでいずれ亡くなってしまうだろう。覚悟はしていても精神的に辛すぎる。
もう、申し訳ないが虫の息という方もいる。それでも、命が尽きるまで生きている。日々しんどそうな感じが増していく。ご本人には、痛みや苦しさはもう感じないのかも知れないが、それでも、命が尽きるまで生きている姿をみると、ウツの時に考えていた「生きるとは?」の疑問が頭の中をよぎる。
自分の最期はどんな感じなのだろうか、自分の周りの家族や友人はその時どう思うのだろうか。。。。生きるのは大変な事だ。
季節の変わり目に注意ウツと天候は関係があるみたいだ。最近仕事のしんどさもあるが、久々に腹痛、頭痛が襲って来た。とりあえず薬を飲んで休むしかない。
皆さんの中でも結構この
時期に調子が悪い方を見かける。年末に向けて多忙になり、余計に体調を悪くしない様に気をつけて欲しい。
面白写真近くのごみ箱に沢山の貼紙。ここまで書くなら撤去したらいいのにね。
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と思います。
あまり激しく思いつめないように頑張ってください。