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自分の限界は?
瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子
小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 - )は、日本の歌手。宝塚音楽学校に入学。以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。
退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。
翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約。作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚[2]の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。
その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに『新三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
ちなみに、私は瀬戸内海生まれだ。
うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!
90歳の生き甲斐
大分親しくなった90歳の利用者さんに「人間の生き甲斐は?」と言う質問をぶつけてみた。
その答えは「何事にも全力で一生懸命に頑張る事だ」と言われた。丁度オリンピック開催の時期なので、その言葉がすんなり心に入って来た。
過酷なまでの厳しい練習を乗り越えて金メダルを目指している姿を見て、「自分が鬱でしんどい」と言っている自分はまだまだ甘ちゃんだなと感じる。
今までの人生で、人に頑張ったと言える部分はあるだろうかと、改めて考えてみるとない。それなりに頑張った事はあるが、所詮そこまでのレベルでしかない。良く言えばまだ余力があると言えるし、悪く言えばまだ本気を出していないとも言える。自分の限界ってどこだろう?
何だか変?
どこの介護施設もそうなのかも知れないが、ん?と思う事がある。その一つは「利用者さんの情報の口伝え」だ。新しく入ってきた利用者さんは、新規の方なので介護度や麻痺具合などの情報は届く。ただ、それ以降しばらくぶりに利用した場合には、その情報は伝わらない。つまり、前回の利用での様子は、介護者それぞれが申し送りをし、それを記憶・個人のメモに書き留めなければわからない。結局の所、最初の利用の時にしっかり覚えなさい。という事だ。
利用者さんの情報を理解し、把握するのは当たり前の事だが、困るのは、それを自分自身が忘れてしまった場合と、新しく入ってきた職員が口伝えなのですぐにわからない事だ。新人さんは、古い職員達に、その利用者さんのADL(日常生活動作(にちじょうせいかつどうさ)、ADL(英: activities of daily living)とは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。それぞれについて自立/一部介助/全介助のいずれかであるか評価することで障害者や高齢者の生活自立度を表現する。)を聞かなければわからない事だ。
ただでさえ、忙しいのに個々に利用者さんの情報を聞き、それに合う対応をしていかなければならないので、実際には「食事介助は?移動時の介助は?夜間のオムツはどれ?入浴の仕方は?」などなどその都度聞かなければならない。当然私にも後輩から聞かれる事もあるのだが、抜けてしまっている事もある。それは私自身の責任なのだが、その時に何かのファイルを見ればわかるという訳にはいかない。それは、利用者さんの情報が口伝えであるからである。
慣れてくれば、職員間で口伝えの方が確実で楽なのだろうが、何だか不便だ。かなりパソコンで情報管理をしつつあるが、まだまだアナログの職場だ。利用者さんに優しい職場はもちろんだが、職員にとっても優しい職場であってほしいと思う。みなさんの職場は、どのような管理体制になっているのだろうか。
李大統領の竹島上陸
韓国の李明博大統領による島根県・竹島(韓国名・独島)訪問を受け、政府は国際司法裁判所(ICJ)への提訴検討で本格的な対抗措置に着手した。竹島の領有権をめぐるICJ提訴は50年ぶりだが、過去2回の提訴では韓国側がICJ付託を拒否。政府が今回提訴に踏み切っても韓国側が付託に応じる可能性は低い。だが、玄葉光一郎外相は「領土問題の存在も当然国際社会が知るところになる」と述べ、国際的な“宣伝戦”の一環でもあるとの位置づけを強調した。
「かつての韓国では難しかったかもしれないが、韓国は『グローバル・コリア』を標榜しているわけだから、当然応じるべきだ」玄葉氏は11日午前、こう強調し、韓国側が提訴に応じるよう求めた。日本が最初に提訴したのは昭和29(1954)年。米国などに竹島の領有権を認められなかった韓国が27年、沿岸水域主権を示す「李承晩ライン」を一方的に設定したことへの対抗措置だった。しかし、韓国側は「司法的な仮装で虚偽の主張をする一つの企てに過ぎない」と拒否。37年にも提訴したが、この時も韓国側は応じなかった。
40年には日韓両政府が日韓基本条約を締結したこともあり、自民党政権はその後、ICJ提訴を封印。昨年8月には、韓国国会「独島領土守護対策特別委員会」が竹島で開催されたことを受け、政府は一時ICJ提訴を検討した。だが、「日韓関係全体に及ぼす影響に対しての一定の配慮」(玄葉氏)から、最終的には見送った経緯がある。
メディアが伝えている疑問は「今の時期に何故」という事だ。韓国側としては何かメリットがなければ竹島上陸の意味がない。
しかし、こうした領土問題での国民の対応は日韓で全く異なる。日本が同じ事をすれば、韓国国民は日の丸を燃やしたり、大きなデモが起きる事が多いが、今回の日本国民の反応はほとんどない。これを国民性というべきなのだろうか。政府の抗議としても、毎度おなじみの「遺憾に感じる」という言葉だ。私としては、「遺憾に感じる」からどうするのか、その後の対応が知りたい。ICJ提訴にしても、韓国側が応じなければ効力はない。
もちろん、日本が上陸しようとするものなら、本格的な冷戦状態になるだろうから、今以上の目に見える行動は日本としては行わないだろう。多分、今まで通り「時が過ぎるのを静かに待つ」というのが落としどころだろう。日本が譲歩して、共通の領土とすることは不可能だろうか。「どっちの領土でもええやん」という気もしないではないのだが。領土問題で戦争が起きれば、多くの死者が出るのは避けられない。それだけは避けてもらいたい。
小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 - )は、日本の歌手。宝塚音楽学校に入学。以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。
退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。
翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約。作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚[2]の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。
その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに『新三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
ちなみに、私は瀬戸内海生まれだ。
うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!
90歳の生き甲斐
大分親しくなった90歳の利用者さんに「人間の生き甲斐は?」と言う質問をぶつけてみた。
その答えは「何事にも全力で一生懸命に頑張る事だ」と言われた。丁度オリンピック開催の時期なので、その言葉がすんなり心に入って来た。
過酷なまでの厳しい練習を乗り越えて金メダルを目指している姿を見て、「自分が鬱でしんどい」と言っている自分はまだまだ甘ちゃんだなと感じる。
今までの人生で、人に頑張ったと言える部分はあるだろうかと、改めて考えてみるとない。それなりに頑張った事はあるが、所詮そこまでのレベルでしかない。良く言えばまだ余力があると言えるし、悪く言えばまだ本気を出していないとも言える。自分の限界ってどこだろう?
何だか変?
どこの介護施設もそうなのかも知れないが、ん?と思う事がある。その一つは「利用者さんの情報の口伝え」だ。新しく入ってきた利用者さんは、新規の方なので介護度や麻痺具合などの情報は届く。ただ、それ以降しばらくぶりに利用した場合には、その情報は伝わらない。つまり、前回の利用での様子は、介護者それぞれが申し送りをし、それを記憶・個人のメモに書き留めなければわからない。結局の所、最初の利用の時にしっかり覚えなさい。という事だ。
利用者さんの情報を理解し、把握するのは当たり前の事だが、困るのは、それを自分自身が忘れてしまった場合と、新しく入ってきた職員が口伝えなのですぐにわからない事だ。新人さんは、古い職員達に、その利用者さんのADL(日常生活動作(にちじょうせいかつどうさ)、ADL(英: activities of daily living)とは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。それぞれについて自立/一部介助/全介助のいずれかであるか評価することで障害者や高齢者の生活自立度を表現する。)を聞かなければわからない事だ。
ただでさえ、忙しいのに個々に利用者さんの情報を聞き、それに合う対応をしていかなければならないので、実際には「食事介助は?移動時の介助は?夜間のオムツはどれ?入浴の仕方は?」などなどその都度聞かなければならない。当然私にも後輩から聞かれる事もあるのだが、抜けてしまっている事もある。それは私自身の責任なのだが、その時に何かのファイルを見ればわかるという訳にはいかない。それは、利用者さんの情報が口伝えであるからである。
慣れてくれば、職員間で口伝えの方が確実で楽なのだろうが、何だか不便だ。かなりパソコンで情報管理をしつつあるが、まだまだアナログの職場だ。利用者さんに優しい職場はもちろんだが、職員にとっても優しい職場であってほしいと思う。みなさんの職場は、どのような管理体制になっているのだろうか。
李大統領の竹島上陸
韓国の李明博大統領による島根県・竹島(韓国名・独島)訪問を受け、政府は国際司法裁判所(ICJ)への提訴検討で本格的な対抗措置に着手した。竹島の領有権をめぐるICJ提訴は50年ぶりだが、過去2回の提訴では韓国側がICJ付託を拒否。政府が今回提訴に踏み切っても韓国側が付託に応じる可能性は低い。だが、玄葉光一郎外相は「領土問題の存在も当然国際社会が知るところになる」と述べ、国際的な“宣伝戦”の一環でもあるとの位置づけを強調した。
「かつての韓国では難しかったかもしれないが、韓国は『グローバル・コリア』を標榜しているわけだから、当然応じるべきだ」玄葉氏は11日午前、こう強調し、韓国側が提訴に応じるよう求めた。日本が最初に提訴したのは昭和29(1954)年。米国などに竹島の領有権を認められなかった韓国が27年、沿岸水域主権を示す「李承晩ライン」を一方的に設定したことへの対抗措置だった。しかし、韓国側は「司法的な仮装で虚偽の主張をする一つの企てに過ぎない」と拒否。37年にも提訴したが、この時も韓国側は応じなかった。
40年には日韓両政府が日韓基本条約を締結したこともあり、自民党政権はその後、ICJ提訴を封印。昨年8月には、韓国国会「独島領土守護対策特別委員会」が竹島で開催されたことを受け、政府は一時ICJ提訴を検討した。だが、「日韓関係全体に及ぼす影響に対しての一定の配慮」(玄葉氏)から、最終的には見送った経緯がある。
メディアが伝えている疑問は「今の時期に何故」という事だ。韓国側としては何かメリットがなければ竹島上陸の意味がない。
しかし、こうした領土問題での国民の対応は日韓で全く異なる。日本が同じ事をすれば、韓国国民は日の丸を燃やしたり、大きなデモが起きる事が多いが、今回の日本国民の反応はほとんどない。これを国民性というべきなのだろうか。政府の抗議としても、毎度おなじみの「遺憾に感じる」という言葉だ。私としては、「遺憾に感じる」からどうするのか、その後の対応が知りたい。ICJ提訴にしても、韓国側が応じなければ効力はない。
もちろん、日本が上陸しようとするものなら、本格的な冷戦状態になるだろうから、今以上の目に見える行動は日本としては行わないだろう。多分、今まで通り「時が過ぎるのを静かに待つ」というのが落としどころだろう。日本が譲歩して、共通の領土とすることは不可能だろうか。「どっちの領土でもええやん」という気もしないではないのだが。領土問題で戦争が起きれば、多くの死者が出るのは避けられない。それだけは避けてもらいたい。
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