しんどい時はしんどいんじゃー!!無理すんなよな

鬱までにはならないでも、予備軍は多いと思います。こうした鬱予備軍から少しでも、脱却出来る様にサポート出来れば、私としても嬉しく思います。欝の話だけでなく、ほっこりした写真やブログを目指しています。新たに、介護の勉強を始めました。将来は介護福祉士の資格取得を目指しています。

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kenken20110501

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欝の話もありますが、日ごろの出来事や旅行記、写真など日頃の生活の中でほっこり出来るような内容のブログを目指しています。広く浅くの私ですが、みなさんに元気を与えられたり、人生のヒントとして頂ければありがたき幸せでございます。

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自分の限界は?
瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子
小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 - )は、日本の歌手。宝塚音楽学校に入学。以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。

退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。
翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約。作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚[2]の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。
その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに『新三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。

ちなみに、私は瀬戸内海生まれだ。


2012.8.12.02

うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!

90歳の生き甲斐
大分親しくなった90歳の利用者さんに「人間の生き甲斐は?」と言う質問をぶつけてみた。

その答えは「何事にも全力で一生懸命に頑張る事だ」と言われた。丁度オリンピック開催の時期なので、その言葉がすんなり心に入って来た。

過酷なまでの厳しい練習を乗り越えて金メダルを目指している姿を見て、「自分が鬱でしんどい」と言っている自分はまだまだ甘ちゃんだなと感じる。

今までの人生で、人に頑張ったと言える部分はあるだろうかと、改めて考えてみるとない。それなりに頑張った事はあるが、所詮そこまでのレベルでしかない。良く言えばまだ余力があると言えるし、悪く言えばまだ本気を出していないとも言える。自分の限界ってどこだろう?

2012.8.11.01

何だか変?
どこの介護施設もそうなのかも知れないが、ん?と思う事がある。その一つは「利用者さんの情報の口伝え」だ。新しく入ってきた利用者さんは、新規の方なので介護度や麻痺具合などの情報は届く。ただ、それ以降しばらくぶりに利用した場合には、その情報は伝わらない。つまり、前回の利用での様子は、介護者それぞれが申し送りをし、それを記憶・個人のメモに書き留めなければわからない。結局の所、最初の利用の時にしっかり覚えなさい。という事だ。

利用者さんの情報を理解し、把握するのは当たり前の事だが、困るのは、それを自分自身が忘れてしまった場合と、新しく入ってきた職員が口伝えなのですぐにわからない事だ。新人さんは、古い職員達に、その利用者さんのADL(日常生活動作(にちじょうせいかつどうさ)、ADL(英: activities of daily living)とは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す。それぞれについて自立/一部介助/全介助のいずれかであるか評価することで障害者や高齢者の生活自立度を表現する。)を聞かなければわからない事だ。

ただでさえ、忙しいのに個々に利用者さんの情報を聞き、それに合う対応をしていかなければならないので、実際には「食事介助は?移動時の介助は?夜間のオムツはどれ?入浴の仕方は?」などなどその都度聞かなければならない。当然私にも後輩から聞かれる事もあるのだが、抜けてしまっている事もある。それは私自身の責任なのだが、その時に何かのファイルを見ればわかるという訳にはいかない。それは、利用者さんの情報が口伝えであるからである。

慣れてくれば、職員間で口伝えの方が確実で楽なのだろうが、何だか不便だ。かなりパソコンで情報管理をしつつあるが、まだまだアナログの職場だ。利用者さんに優しい職場はもちろんだが、職員にとっても優しい職場であってほしいと思う。みなさんの職場は、どのような管理体制になっているのだろうか。

6/30-3

李大統領の竹島上陸
韓国の李明博大統領による島根県・竹島(韓国名・独島)訪問を受け、政府は国際司法裁判所(ICJ)への提訴検討で本格的な対抗措置に着手した。竹島の領有権をめぐるICJ提訴は50年ぶりだが、過去2回の提訴では韓国側がICJ付託を拒否。政府が今回提訴に踏み切っても韓国側が付託に応じる可能性は低い。だが、玄葉光一郎外相は「領土問題の存在も当然国際社会が知るところになる」と述べ、国際的な“宣伝戦”の一環でもあるとの位置づけを強調した。

「かつての韓国では難しかったかもしれないが、韓国は『グローバル・コリア』を標榜しているわけだから、当然応じるべきだ」玄葉氏は11日午前、こう強調し、韓国側が提訴に応じるよう求めた。日本が最初に提訴したのは昭和29(1954)年。米国などに竹島の領有権を認められなかった韓国が27年、沿岸水域主権を示す「李承晩ライン」を一方的に設定したことへの対抗措置だった。しかし、韓国側は「司法的な仮装で虚偽の主張をする一つの企てに過ぎない」と拒否。37年にも提訴したが、この時も韓国側は応じなかった。

40年には日韓両政府が日韓基本条約を締結したこともあり、自民党政権はその後、ICJ提訴を封印。昨年8月には、韓国国会「独島領土守護対策特別委員会」が竹島で開催されたことを受け、政府は一時ICJ提訴を検討した。だが、「日韓関係全体に及ぼす影響に対しての一定の配慮」(玄葉氏)から、最終的には見送った経緯がある。

メディアが伝えている疑問は「今の時期に何故」という事だ。韓国側としては何かメリットがなければ竹島上陸の意味がない。

しかし、こうした領土問題での国民の対応は日韓で全く異なる。日本が同じ事をすれば、韓国国民は日の丸を燃やしたり、大きなデモが起きる事が多いが、今回の日本国民の反応はほとんどない。これを国民性というべきなのだろうか。政府の抗議としても、毎度おなじみの「遺憾に感じる」という言葉だ。私としては、「遺憾に感じる」からどうするのか、その後の対応が知りたい。ICJ提訴にしても、韓国側が応じなければ効力はない。

もちろん、日本が上陸しようとするものなら、本格的な冷戦状態になるだろうから、今以上の目に見える行動は日本としては行わないだろう。多分、今まで通り「時が過ぎるのを静かに待つ」というのが落としどころだろう。日本が譲歩して、共通の領土とすることは不可能だろうか。「どっちの領土でもええやん」という気もしないではないのだが。領土問題で戦争が起きれば、多くの死者が出るのは避けられない。それだけは避けてもらいたい。

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生きたい人、死にたい人。
岡田有希子/くちびるNetwork
岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年8月22日-1986年4月8日)は、日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称は「ユッコ」。この曲は松田聖子の作詞、坂本龍一作曲で話題となり、初めてオリコン1位を取った曲である。

愛知県名古屋市熱田区出身。サンミュージックに所属していた。1980年代中期のトップアイドルのひとりであり、ポスト松田聖子として期待されたが、人気の絶頂期であった1986年(昭和61年)に自殺した。

幼少期からアイドルに憧れ、中学2年生の頃から『ホリプロタレントスカウトキャラバン』など様々なオーディションに応募し、ニコンの「フレッシュギャルコンテスト」では準グランプリに選ばれグアム旅行を獲得するが、芸能界入りのきっかけは与えてもらえなかった。中学3年生の秋、両親に内緒でオーディション番組『スター誕生!』の名古屋地区予選に出場して合格を果たし、決戦大会への切符を掴む。しかし両親に大反対され、母親が芸能界入りの条件として「学年の成績が1番になること・中部統一模擬試験(現『新・中統テスト』)で上位5位以内に入ること・向陽高校に合格すること」というクリアできないと思われる3つを提示したが、彼女はそれらの条件を全て果たし、決選大会への出場を許可される。1983年(昭和58年)3月に『スター誕生!』の第46回決戦大会で中森明菜の「スローモーション」を歌い、見事チャンピオンとなった。その後、サンミュージックにスカウトされ、同プロダクションに所属が決まる。

未だに、自殺の理由が明らかでないが、当時後追い自殺がしばらく続いた。



うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!

2012073001

生きたい、死にたい。
いじめで自ら命を絶った少年、介護施設で早く死にたいという高齢者。相対する気持ちを持っている。日々いじめられて辛い思いをしているのはよくわかる。私自身が過去に同じ様な経験があるからだ。

ブログで初めて語るが、私もいじめられていた時期がある。いじめられる理由ははっきりしていないが、単に気に食わないという事から始まったとしか理由が浮かばない。。

いじめとはそんなものだ。仲良くても、突然いじめの対象になる。その事を今の教師は理解していない。何故なら、教師自身がいじめられた経験がないから、想像出来ない。大半の教師は挫折や苦労を知らない。だから、落ちこぼれや普通という生徒ではない子供の理解が出来ない。

勿論、教師全員という訳ではないが、大津市での自殺については、担当教師、校長自身に問題があったと言わざるを得ない。生徒のちょっとしたサインに気付くか気付かないかは、教師としてとても大切な部分だろう。教え方が上手な教師なら塾の講師の方が上だろう。子供達の人格や人間性を含めて教育していくのが、教師としての役割だろう。

一方、介護施設に入居している利用者さんの中には、体が思う様に動かず、早く死にたいという方もいる。そういう方にはなかなか励ます言葉が見つからない。単純に、百歳まで頑張りましょうと周りは言うのだが、果たしてその方が百歳まで生きるのが幸せかどうかわからない。それなのに、みんな百歳まで頑張れと言う。

複雑な気持ちだ。自分なら、体が不自由になればいつまでも長生きしたくない。周りに迷惑をかけるばかりだと思う自分がいる。

今はまだまだ生きていたいと思う。

2012073002

語彙力の低下
最近、言いたい言葉が出てこない事が多い。これが鬱のせいか、加齢のせいなのかわからないが、会話をする時に「えっと~、あの~」と言いながら言葉を探しながら話す。仕事上で精神的なプレッシャーが大きいせいかも知れないし、四日毎に夜勤があり、体内時計が乱れているせいかも知れない。

特に夜勤の場合、利用者さんが寝静まる10時くらいまでと、起き始める5時以降にあちこちからナースコールが鳴る。まだ、夜はいいのだが、朝は自分自身の頭もすっきりしていないので、変な汗をかきながら起床介護をする。この時間が一番しんどい。夜勤勤務には慣れて来ているが、途中の仮眠にも眠れないので余計にしんどい。

いつか夜勤のリズムになれるだろうと思っているのだが、それはまだまだ先になりそうだ。

2012073003

手取り18万円
介護職の給料の低さは何とかならないものだろうか。月に夜勤5回と20日勤務でこの程度だ。残業などはサービス残業で手当なし。そんな条件でも介護職を選んだのだから仕方ないじゃないかと思う方もいるだろう。実際に勤務している他の職員さんは給料は関係なく、ボランティア精神でやっているのだから気にしないと言う。

単純に、仕事量と給与とが見合わないと感じるだけだ。給与が安いのが嫌なら辞めれば?と思う方もいるだろう。不満はあるが、やりたかった仕事の一つなので、もう少し続けて見ようと思う。

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祝!80000人突破!
竹内まりや / 元気を出して
竹内 まりや(たけうち -、1955年3月20日 - )は、日本のミュージシャン。自称「シンガーソング専業主婦」。ペンネームはMiyabi。曲を提供する際に用いている。本名山下まりや(旧姓:竹内)。夫は山下達郎で一女がいる。デビューがアイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスも相まって、アイドル歌手のような役割を担った。

元大社町長で出雲大社近くの老舗温泉旅館「竹野屋」主人・竹内繁蔵の娘。世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。島根県立大社高等学校在学中に、アメリカ・イリノイ州ロックフォールズ(Rock Falls)高校に1年間留学。この留学は、AFS(高校生の交換留学団体)の交換留学制度で行ったものである。

前作から丸1年ぶりでアナログ盤最後のシングルである。収録曲2曲とも過去他者に提供した楽曲であり、アルバム『REQUEST』からのシングルカットである。「元気を出して」は、竹内の代表曲の一つであるが、元々は薬師丸ひろ子の1984年のアルバム『古今集』に提供した曲のセルフカバーである。薬師丸は当曲にコーラスとして参加している。


祝80000人突破!感謝!
毎度の事ながら、感謝感謝である。ありがとう。^^

いろいろなジャンルの方からのご訪問にも感謝である。つらつらと思うまま書き始めて、1年2ケ月。長い様であっと言う間だ。これからも、ほっこり出来るブログを続けて行きたい。

070201

うつの合い言葉ー焦らない!後戻りしない!諦めない!

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運がある?
夜勤も何回もしているのだが、私が夜勤に入った日に限って、便失禁の率が高い。それも1人や2人ではない。しかし、他の職員に聞いても余りないと言う。どうも変な運がついている様だ。その為、朝の段取りが大きく狂ってしまう。

朝は、更衣介助と朝食の準備があるので、便失禁があると5分、10分違ってくる。最近では、便失禁があるものとして時間のやりくりをするようにしている。

慣れて行くしかないのだろう。もう少し時間がかかりそうだ。

070203


初めて利用者さんの死を聞いた。短期入所の方だったので、施設ではなく自宅に戻ってから亡くなった。施設利用している時は、若干食欲がないくらいで元気だった。訃報を聞いた時には、「あんなに元気だったのに」と驚くばかりだった。私の施設には、90歳、100歳の方が多い。平均寿命で考えればいつ亡くなってもおかしくない。その為、夜勤の巡回はドキドキする。一周巡回する度に、全身汗びっしょりになる。こういうのもなれていくのだろうが、自分の夜勤の時に亡くならない事を祈っている。

利用者さんの中には、足腰が痛くて「早く死にたい」と言う方がいる。確かに、車椅子での移動、トイレ・入浴等は介助がいる。食べる楽しみが唯一の楽しみの様だ。まだ頭もしっかりしているので、余計に今のご自分の状態をどうすることも出来ず、ストレスが溜まるのだろう。何かいい楽しみがあればいいのだが、無趣味の様なので、テレビを見るぐらいしか楽しみがない。難しい。

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のら達ニャー!
ふれあい / 中村雅俊
中村 雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 - )は日本の歌手、俳優である。マリンパル女川名誉館長も務める。宮城県牡鹿郡女川町出身。女川町立女川第一中学校、宮城県石巻高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。身長182cm。所属はMJエンタープライズで代表取締役社長も務める。家族は妻・五十嵐淳子とのあいだに1男3女がおり、その長男は元俳優の中村俊太。

ふれあいは、1974年7月1日にリリースされた中村雅俊のデビュー・シングル。同10月25日には同名のアルバムもリリースされた。ドラマ『われら青春!』の挿入歌として、1974年6月30日放送の第13話で初めてお茶の間に流れ、翌7月1日に発売された後、7月29日付のオリコンチャートで初めてトップ10(8位)入りし、翌週ランクダウン(9位)するも、次の週には3位まで跳ね上がり、さらにその翌週には初の1位となり、10月21日付のチャートまで10週連続で1位を守り抜いた。その後も、1974年11月25日付のチャートまで約1ヶ月間トップ10に居続け、同年の年間売上第4位にランクインした。


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介護職
居宅介護では、利用者さん同士の喧嘩がある。それぞれ全く性格の人が集まっているので仕方ないだろう。特に認知症の同じ様な動作を見るのが嫌で文句を言ったり、大声を出したりする方にも文句を言う方がいる。認知症の進んでいない方にとっては耐えられないのだろう。

他にも、他人との関係が嫌で、一日中部屋にこもったままと言う人もいる。他人との関わりを持たないと認知症が進んでいかないか気になる。運動機能も低下していくだろう。歩けるのに安全の為、車椅子を使い出すと一気に足の筋肉が減少し歩けなくなっていく。日々機能が低下していく利用者さんを見るのがつらい。

また、食事、入浴など全介助の方への介護をしていくと何となく切なくなってくる。反応がほとんどないままで、食事したり、オムツ交換をしたり。寿命がくるまで一生この状態だ。明日かも知れないし、何十年後かもしれない。家族の方も辛いだろう。これが自宅介護だと介護疲れになるだろう。

認知症の利用者さんの家族の方が訪問されているが、日々感情が変わる利用者さんと話をするのも大変そうだ。時々家族さんから「疲れた」という言葉を聞く。利用者さんを取り巻く周りの方のケアも必要だ。当然だが、私達介護職員も認知症で言う事を聞かない利用者さんの介護でストレスを溜め込まないように上手く発散出来る様にしなければならないだろう。

がれきいやどす
東日本大震災で発生したがれきの広域処理問題で、細野環境相が31日、JR京都駅前(京都市)で山田啓二京都府知事らと受け入れへの理解を訴えた。細野環境相は「自分のことだけでなく、宮城や岩手のことを考えて下さい」と呼び掛けたが、受け入れに反対する市民ら約400人に取り囲まれ、予定していたチラシ配布を中止した。
環境省の「みんなの力でがれき処理プロジェクト」の街頭イベント。市民らは「広域処理反対」「ガレキいやどす」などと書いたプラカードを掲げ、「帰れ」「子どもを守れ」などと声を上げた。

九州でも、がれき受け入れ反対運動している様だが、とても悲しい。「自分の所だけ安全であればいい」と言う考えで、プラカードを持って反対している事が、京都のイメージダウンになっている事がわかっていないのだろうか。がれきの問題は、日本全国で協力していかなければ復興がますます遅くなってしまう。何とかならないのだろうか。

老人ホームで孤独死
茨城県つくば市の老人ホーム「サンシャイン・ヴィラつくば倶楽夢(くらぶ)」で、入居者の女性が死後約1週間たってから発見されていたことが31日、分かった。ホームを運営する医療法人「みなみつくば会」(今川民子理事長)によると、亡くなったのは平成21年11月に入居し、専用居室(2LDK)で一人暮らしをしていた87歳の女性。24日午後7時頃、女性の親族から「電話に出ない」とホームに問い合わせがあり、職員が合い鍵で入室し、浴室で倒れている女性を発見した。病死とみられる。

女性は15日に胸の痛みなどを訴え、職員に付き添われて市内の病院で受診。室内には17日から新聞がたまっていることから16日ごろ、体調に異変があったとみられる。室内にはナースコールのボタンが複数あったが、使われていなかった。女性は要介護者でなく、食事も自炊していた。

県によると、女性は「専門の主治医がおり、声かけなどの日々の安否確認は必要ない。必要のない限り部屋には訪問しないで欲しい」と施設に伝えていた。職員との接点は、主治医や買い物への送迎など、月に数回程度だったという。ホームでは「何らかの対策がとれなかったか、深く反省している」と話した。

要介護者でなければ、毎日の安否確認が出来なかったのは、止むを得なかったかもしれない。本人の意向もあったので尚更仕方がなかったかもしれない。しかし、今後は、施設に入居した場合は、毎日必ず安否確認をするという規約を設けていく方がいいだろう。

033103

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被災地の瓦礫
佐野元春/約束の橋


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介護職6日目
毎日の疲れがとれない。しかし、仕事として本当にやりがいがある。利用者さんもその日の機嫌の違いがあるが、概ねみんな優しい。介護技術の下手さを理解して頂いている。だいたい一通りの介護をさせて頂いた。やはり、見学するより実際に介護していって体で覚える方が飲み込みやすい。

他の施設では、新人さんの受け入れ体制はどんなものだろうか。どこも一気に覚えていくものだろうか。

デイサービスと違って、来る人来る人入浴介護の数をこなすという忙しさはないのでまだ気持ちに余裕があるのが嬉しい。人員や浴室の数が増えれば、もっと余裕のある介護が出来るだろう。しかし、最初の介護のしんどさで続けて行かない問題がある。給与に見合った仕事量ではない。コンビにのバイトのほうが給与は良い。「無償の愛」ではないが、本当にボランティア精神がないとやっていけない。

瓦礫処理
東日本大震災で発生した震災がれきの広域処理について、高松市の大西秀人市長は28日の定例会見で、市の処理施設の現状や放射性物質への市民の不安などを総合的に考え、受け入れは困難との認識を示した。

市には西部(川部町)と南部(塩江町)のクリーンセンターがあるが、大西市長は余力がある西部については「施設が旧式で老朽化している上、放射性セシウムを除去するフィルターが装着されていない」などと説明。また、南部も構造上の問題で小さなごみしか処理できず、対象のごみはかなり限定されるとした。加えて、最終処分場は綾川町陶にあり、「市単独では判断できない」と語った。

これらを踏まえ、大西市長は「放射性物質への市民の不安も強く、被災地復興にはできるだけ協力したいが、現時点での震災がれきの受け入れは困難と言わざるを得ない」と述べた。

全国的に震災の瓦礫処理の目途がなかなかつかない。とても残念である。被災地できちんと放射能の検査をすれば、日本全体でもっと受け入れ体制を整えて欲しい。震災後一年が経つのに未だに瓦礫の山が残っている。放射能の問題は、福島県の立ち入り禁止区域だけ慎重にすればいいことではないだろうか。

ニュースでも、だんだんと震災について伝えられる事が少なくなっている。私は、もっと今現在の被災地の様子を伝えてもらいたいものだ。

欝のいろいろ
何となくやる気がなかったり、しんどいなーと思う事が多くなった時、普段なら一日二日と過ぎるうちに気持ちが戻って来るのだが、そのしんどさが長く続く時には、注意が必要だ。もちろん、気持ちの沈みこみだけではない。頭痛、腹痛、めまい、動機、便秘など「これって、欝かな?」と思うような様々な症状が出てくる。ちょっと、いつもの自分と違うかなと思えば、取り敢えず早めに病院に行く事をお勧めする。発見が遅ければ遅いほど、その快復にも時間がかかる。

あと、気を付けておきたいのが、周りの人の理解である。よく「欝はわがまま病」とか「心が弱いから欝になる」「欝になる人は精神が狂っている」などまだまだ社会のなかでは理解されにくい。当の本人も「欝になる自分は他の人と違う」と自ら欝を受け入れたくない人もいる。

しかし、欝になる人は誰でもなるし、決して変わった人ではない。「人生の中でちょっと休憩をしよう」というぐらいの心づもりが必要だ。私も欝だったが、ほぼ回復し、再び仕事に就けている。私のブロともさんも同じ様に回復し社会復帰をされている方が何人もおられる。自分の周りに欝の理解者がいなくても、こうしたネットの中での欝仲間が沢山いる。その方達に元気をもらった。

欝は必ずよくなる。焦らずそれぞれのペースで治していけばいい。しんどい時は無理しない。これが一番。

---しんどい時はしんどいんじゃーー!!無理すんなよな---
032803

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